バランス感覚を磨く

生活において、「バランス感覚を持つこと」は、
何よりも大切だと感じます。
時間の使い方、お金の使い道、人間関係や働き方。
あらゆる選択が、
自分にとっての絶妙なバランスの上に成り立っているからです。
最近も、そんな「自分のバランス」を問い直す出来事がありました。
たとえば、iPhoneの買い替え。
上位モデルとの価格差は約6万円。
「カメラ機能の向上のために、あと6万円払う価値はあるか?」
と自分に問いかけたとき、私には少しオーバースペックだと気づきました。
ですが、「バッテリー持ちが伸びる」という点には惹かれている自分もいる。
スペック表の数字を比較するだけの作業から
「自分が日常で何に価値を感じるのか」
を解き明かす時間へと変わっていったのです。
また、車を手放したこともそうです。
たしかに「行きたい時にサッと行けない」という不便さは生まれました。
しかしその反面、固定費を削減が出来たこと、
歩くことでゆっくり物事を考える時間を手に入れることができました。
また、本当に行きたいところはどんな交通手段を使うこともできました。
また、休日にランニング終わってのんびり過ごす時間も、
「時間を無駄にした」と後悔することもあれば、
めまぐるしい日常の中で思考を整理するための「大切な心の深呼吸」だったのだと感じます。
何かを選ぶたび、私たちはつい
- 「どれが一番コスパが良いのか?」
- 「どれが正しい選択なのか?」
と、数式を解くように「たった一つの最適解」を探してしまいがちです。
世の中を見渡せば、
YouTubeをはじめ効率的な「正解の公式」があふれています。
失敗を恐れるあまり、
ついその模範解答を丸写ししたくなってしまうのも無理はありません。
けれど、生き方とは本来「数学」ではなく「国語」のようなものだと感じます。
数学のように一つの正解を導き出すのではなく、
国語の文章題のように、
その時々の自分の感情や文脈をじっくりと「汲み取っていく」。
読む人や置かれた状況によって答えが変わって当たり前なのですから、
正解合わせに怯える必要はないのです。
哲学の世界には、
「人間の生きる営みは、死ぬまでの気晴らし(暇つぶし)である」
という考え方があります。
もともと人生に用意された「絶対的な正解」などないのだとしたら、
答えが出ずに悩んだり、一見遠回りに思える選択をしたりする時間すらも、
ただの無駄ではありません。
それは、自分だけの物語を味わうための「贅沢な暇つぶし」そのものです。
タイパや答えを急ぎ、
誰かが作った公式に自分を無理やり当てはめる必要はありません。
正解のない世の中だからこそ、
揺れ動く自分の気持ちを丁寧に読み解きながら、
自分にとって一番心地よいバランスを模索する過程そのものを楽しんでいきたいものです。



